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「墨東綺譚」 [映画]

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〔1960/日本〕


中学校教師・種田順平(芥川比呂志)は、
赤線・玉ノ井の娼婦・お雪(山本富士子)と
ひょんなことから知り合い、
お雪の気立ての良さに惹かれる。


順平はお雪の所に通うようになり、
お雪も、
他の客とは違う雰囲気の順平に
商売を抜きにして惚れてゆく。


順平には、光子(新珠三千代)という妻がいるが、
光子は、結婚前に手伝いをしていた宅間家の主人の子を生んでおり、
宅間家からは、
毎月、子どもの養育費が届けられていた。
そして、その事は順平の心に、
常に暗い影を落としている。


お雪もまた、
悲しい身の上の女だった。
彼女が娼婦にまで身を落としたのは、
病気の母のためなのだ・・・。





永井荷風の最高傑作と言われている
小説の映画化。


1992年に津川雅彦氏でも、
映画化されていて、
そちらは以前観ているのだけれど、
なんだかエロシーンが多かったという事しか
記憶にない。


それと比べると、
こちらは抒情的で、
山本富士子さん演じる娼婦・お雪の哀しみが伝わってきて、
心に染みる。


お雪は、
順平に、
他の客とは違う、特別な感情を持つにつれ、
彼との生活を夢見るようになる。
彼の職業も、住所も、家族についても、
何も知らないのに。


順平だって、お雪が好きだ。
娼婦だからと、決して下に見てはいないし、
実際、仕事を辞めて、
退職金で、
彼女と新生活を始めようとしかかる。


お雪が娼婦をしているのは、
病気の母親のためだけれど、
解説を読んで、ちょっと驚いた。


母親と言っても、
それは、お雪の亡き夫の母で、
実母ではないらしい。
劇中、そのような説明があったかなかったか、
私が聞き落したのかもしれない。


それにしても、
実母でもない人のために、
そんな苦労。
このエピソード一つを取ってみても、
お雪の、
人の好さが伝わってくる。


一つ教訓。


現金は、
どんなに信頼できると思う人でも、
預けてはいけない。
誰かに渡す現金は、
必ず自分で持っていかないと。


ポスターのタイトルの「墨」の文字には、
「さんずい」が付いているけれど、
これは造字だそうだ。


評価 ★★★★☆

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「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」 [映画]

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〔1985年/日本〕


1980年8月19日。
新宿駅西口で、発車待ちの路線バスに、
火のついた新聞紙と、ガソリンが入ったバケツが投げ込まれた。


犯人は38歳の男(柄本明)。
8人の死者と、
12人の重軽傷者を出す、大惨事となった。


犠牲者の一人・石井美津子(桃井かおり)は、
全身に80%という大火傷を負い、
壮絶な治療と、リハビリをするも、
四肢の運動障害、肝機能障害などの
後遺症が残ってしまう。


私生活において、
美津子は、妻ある男・杉原(石橋蓮司)と付き合っていたが、
杉原の妻が、
美津子の入院中に癌で死亡、
退院後、杉原と美津子は結婚する・・・。





どんな事件でも、
傷つけられた、何の罪もない人に、
大変なダメージが残るのは当たり前の事だけれど、
それにしても、
ガソリンを撒かれて、火を付けられた火傷が、
あれほど酷いとは、想像を絶する。


この映画は、
実際に起きた1980年の新宿バス放火事件の被害者の
ベストセラーを映画化したもので、
被害者の体が回復してゆく過程や、
犯人への気持ちを描いた、
貴重な記録でもあると思う。


被害者の美津子さんは、
犯人を憎んではいない、と言う。


もちろん、犯人に対する気持ちは、
被害者一人一人が違うだろうし、
同じ目に遭っていない私には、
その気持ちは想像するしかないのだけれど、
私だったら、
犯人を憎まないと思えるのか、
ちょっと分からない。難しい。


ただ、美津子さんの言葉で、
少しだけ分かる気がしたのは、
「生きる事は誰かの犠牲の上で成り立つこと」というもの。
私も、時々、
何かに対して腹が立った時、
「でも、私だって、相当甘やかされて、許されて生きている部分がある」とか、
「私も、気付かないうちに、人を傷つけている、きっと」とか、
思う事がある。
もちろん、美津子さんの身に起きた事に比べたら、
比にならないくらい、つまらない怒りなんだけど。


美津子さんは、一生治らない
火傷痕を負い、
恋人と結婚するんだけど、
今度は、夫のなった人の借金が原因で、
心中しようと言われてしまう。


観ているこちらにしたら、
あんな壮絶な治療やリハビリを終えて、
やっとまあまあ普通の生活ができるくらいにまで
回復したってのに、
また死ぬってなんなんだ、と思ってしまう。


死んだらあかん。
「生きてみたいもう一度」だ。


評価 ★★★☆☆

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「殿方御用心」 [映画]

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〔1966/日本〕


女子大で新聞部に所属する、
ノエミ(大楠道代)と松子(樹木希林)は、
巷で言われている「女子大生亡国論」に腹を立て、
世の男性にインタビューを試みる。


ノエミが最初に声を掛けたのは、
大学生の西村(石坂浩二)、
松子が最初に声を掛けたのは、
やはり大学生の松下(高見国一)。


西村と親しくなったノエミは、
彼にくっついて、泊りがけで農村探訪に出かけるが、
その夜、農家で同じ布団に寝かされるも、
西村が自分に全く興味を示さず、
寝入ってしまった事にショックを受ける。


一方、松子は、
その後知り合った、新聞記者・向井に恋をし、
彼の後を付いて回るが・・・。





これはもう、
樹木希林さんの魅力に尽きる。


樹木さんは、
古い映画を観ていると、
「あ、出てる」を気付く程度で、
その役柄は、
大抵、3番手から5番手くらいの事が多い気がしてた。


でも、この映画では、
主役の大楠道代さんに次いで、
2番手の役。
最初から最後まで、ずっと出ている。


だから、ちらっと映ったとか、
その他大勢の一人とかではなく、
ずっとそのお顔を見ていられる。


まだお若くて、
溌剌としていて、
とっても可愛い。
新聞記者に恋をして、
殺人事件現場の死体を見て、
卒倒するなどの場面もあり、笑える。


このころはまだ、
樹木さんが、将来、
日本中、知らない人はいないくらいの
大女優になるなんて、
誰も想像していなかっただろうなぁ。


それにしても、
「女子大生亡国論」だなんて、
そんな事、今言ったら、笑われてしまうね。


1966年当時、
まだまだ大学に進学する女子の数は少なかったんでしょうけど、
それでも、そろそろ
目立ち始めた時期だったから、
こんな言葉が生まれたのだろう。


古い映画を観ていると、
公開された当時の世相が分かって、
興味深い。


評価 ★★★☆☆

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「しゃぼん玉」 [映画]

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〔2017年/日本〕


老人や女性など、
弱者を狙っては、
バッグをひったくっていた伊豆見(林遣都)は、
ついに人を刺してしまう。


逃亡し、宮崎県の山奥を歩いていた伊豆見は、
バイクで転倒した老婆・スマ(市原悦子)を助けた事から、
彼女の家で寝泊まりするようになる。


最初は、金を盗んで逃げるつもりの伊豆見だったが、
スマの優しさに触れ、
また、村の祭りや、山仕事を手伝ううちに、
その荒んだ心に変化が現れる。


伊豆見は、
10年ぶりに村に帰ってきた未知(藤井美菜)と
親しく会話するようになるが、
彼女がある事件の被害者で、
そのせいで、人生がボロボロになったことを知り、
激しい衝撃を受ける・・・。





宮崎県の、山深い村にやって来た、
得体のしれない青年。


彼に命を助けてもらったことから、
自宅に寝泊まりさせる老婆。


老婆は、何度も言う。
「坊はいい子じゃ」と。
青年はもう、
「坊」とか、「いい子」とか呼ばれる年齢ではないのだけれど、
それでも、老婆は言い続ける。


それから、村の人たちは、
青年に何かを手伝ってもらう度に、
「あなたがいてくれて良かった」
「助かった」
と言ってくれる。


あぁ、やっぱり人って、
誰かに褒められたり、
必要とされたりすることが、
とっても大事なんだなぁと思う。
特に、青年は、
親からも見捨てられた、
悲しい生い立ちがある。
きっと、親が褒めてくれた記憶なんて
一つもないんじゃないかと想像する。
だから余計に。


現実には、
荒んでしまった心は、
映画のように簡単には立ち直れないだろう。
でも、
こんな物語があってもいい。


市原悦子さんはやっぱりいいなぁ。
林遣都くんがしてきた事を
知らないフリしているけど、
「何かある」とは
きっと薄々思っている、そんな気がする。


でも、そんな事おくびにも出さず。


実は終わり近くになって、
市原さんにも、
人生の大きな悩みを抱えている事がわかる。


のほほんと生きているようだけど、
人の人生なんて、誰にも分からない。


評価 ★★★☆☆

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「雨のなかの女」 [映画]

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〔1969年/アメリカ〕


専業主婦のナタリー(シャーリー・ナイト)は、
ある朝、置手紙を残して家を出た。
理由は自分でも分からない。
何か不安で、
何かもどかしく、
旅に出たくなったのだ。


途中、ヒッチハイクしている青年・キラー(ジェームズ・カーン)を
拾う。
彼は、大学のフットボールの花形選手だったが、
怪我をして放校となり、
ガールフレンド・エレンの父親に
仕事の紹介をしてもらうつもりなのだ。


ナタリーはキラーを、
エレンの家まで送るが、
フットボールを辞めたキラーには
何の価値もないと言わんばかりに、
エレンから冷たい言葉を浴びせられる。


その後、ナタリーは
パレードで賑わう通りでキラーを撒こうとするも、
結局、見捨てることができず・・・。





なんだろう、
この主人公のナタリーって人は。


夫との生活に何か不安や戸惑いを覚え、
家を出た、
それは分かる。
人間、生きていれば、そんな日もあろう。


でも、それなら、
なぜ、ヒッチハイクしている男なんて拾うかな。
彼女は一人になりたかったんじゃないの?
一人で自分の人生を見つめ直したり、
考えたりしたかったんじゃないの?


それとも、
別の男とのアバンチュールを楽しみたかったのか?


彼女は、キラーという男を車に乗せたおかげで、
散々な目に遭う。
彼さえいなかったら、
そんな思いはしなくて済んだ、という事ばかり。


せっかく夫から少し距離を置いて、
ゆっくり考えようって時に、
かえって苦労を背負い込むとは、
一体何がしたいのかさっぱり分からない。


しかも、彼女は妊娠初期なのだ。
何かトラブルがある度に、
体は大丈夫か?と、
架空の話ながら、
気が気じゃなかった。


この映画は、
あのフランシス・F・コッポラ監督が、
今までのハリウッドの映画製作の
規制の多さに辟易して、
自由に撮った作品だと解説されていた。


例えば、
それまでハリウッドで主流だった、
作られたセットでの撮影から、
本当にロケをして、
地名通りの場所で撮影されたとか。


もしかしたら、
そういった映画作りの在り方を
見せるための、
実験的映画という意味合いの方が強く、
主人公の生き方云々は二の次だったのかもしれない。


評価 ★★★☆☆

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