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「幸福の限界」 [映画]

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〔1948年/日本〕


高松家の次女・由岐子(原節子)は、
OLをする傍ら、
劇団に入り、演劇の勉強をする、
進歩的な女性。


ある日、高松家に、
嫁に行った長女・省子(市川春代)が幼い娘を連れて、
婚家から戻されてくる。
それは、省子の夫が死んだため、
仕方のない措置だった。


由岐子は、
劇団の監督・大塚(藤田進)と2人で、
スキー旅行に出かけた。
やましい事は何もなかったが、
それを知った父親(小杉勇)は激怒、
由岐子は、アパートを借り、
一人暮らしを始める。


そんな中、
由岐子の叔母が、
8人目の子を流産し、
亡くなるという悲劇が起こる・・・。





「幸福の限界」か。
あまり好ましい言葉ではないな。
幸福に限界があるなんて、
考えたくない。
幸福は、どこまでいっても幸福。
突き抜けるような、
無限の幸福を、
感じていたいものだ。


ポスターにある、
センセーショナルな文言、
「結婚とは性生活を伴った女中奉公」
というのは、


原節子さん演じる、次女・由岐子が、
婚家から戻されてきた長女に向かって
放った言葉。


1948年の映画なので、
当時の女性の立場は、
そのようなものだったのかもしれない。
性生活云々にしても、
この言い方だと、
性は、男が快楽を享受するだけのもので、
女は、そんな男の欲望にひたすら耐えるだけ、
という風に取れる。


女中奉公という言葉はどうだろう。
夫が働いて得たお金だけが頼りで、
家事も、育児も、
完全な分業で、
さらに重要なのが、
夫が妻に、威張り散らして、
優しい言葉の一つもかけなかったら、
そういう気持ちになっても仕方ないのかもしれない。


もちろん、妻も、
外で必死に働いてくれる夫に、
感謝の気持ちを忘れてはいけないけど。


まぁ、由岐子にしても、
色々、新しい事を言ってはいるけれど、
現代の感覚からすると、
めちゃくちゃ保守的(笑)。


「私を傷物にしてくださらない?」(傷物て(笑))、
と言っているわりに、
迫られても、
行為に踏み込めないなど、
ちょっと、現代には無い感覚。


もし私が男で、
今、こんな面倒くさい女がいたら、
「あー、もういい、分かった分かった」と、
心が離れてしまいそうな気もする(笑)。


評価 ★★★☆☆

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