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「われ幻の魚を見たり」 [映画]

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〔1950年/日本〕


明治時代。
秋田県・十和田湖のほとりに住む、
和井内貞行(大河内傳次郎)は、
魚が生息しない十和田湖に、
なんとかして、
魚を繁殖させられないかと考える。


鯉の稚魚を放流したところ、
繁殖はある程度、成功する。
しかし、その鯉は、
近所の者たちに、
捕獲されてしまう。


鱒はどうだろう、
鱒は育たないものかと、
稚魚を放流すると、
餌の少ない十和田湖で、
鱒たちは、互いを食い合い、
失敗。


その後も、様々な種類の鱒で
実験してみるのだが、
上手くいかず、
貞行の妻や子供たちは、
その日食べる物にも、
事欠くようになる。


もうやめよう。
そう決めた貞行は、
最後に、あと一回、
今までと違った種類の鱒を探しに、
北海道に旅立ち・・・。





秋田県の十和田湖に、
明治時代まで、
魚が全く生息していなかった、という事実に、
まず驚く。


十和田湖に限った事ではないけれど、
私は、
湖のようなところには、
必ず魚が棲んでいるものと思い込んでいたから。


主人公の和井内貞行の、
「十和田湖はこんなに近くにあっても、
 人間との距離がとても遠い」という言葉が、
言い得て妙だな、と思う。
どんなに美しい水を湛えていても、
人々のお腹を満たす要素がなければ、
言葉は悪いけれど、
無用の長物、という事なのだろう。


十和田湖は、
魚の餌になるものが少ないそうで、
でも、そんな十和田湖にも、
棲める魚はいるはず。
そう考えた貞行は、
各地に住む鱒の稚魚を持ってきては放流する。


それって、
家族が食べるに困窮するほど、
大変な事業なの?
稚魚なんか、とっとと連れてくればいいじゃん、と思うのは、
現代を生きる人間が考える事。


当時は、北海道から鱒の受精卵を持ち帰るのに、
何日も何日もかかり、
その間、卵は死んでしまうのだ。


よくよく考えると、
貞行のしている事は、
今風な言い方をすれば、
生態系を壊す、という事なのかもしれない。
十和田湖にしてみたら、
本来いるはずのない、
外来種の魚が入り込んできたという事なのかもしれない。


でも、そのおかげで、
十和田湖は豊かになった。
貞行の男気、パワー、優しさには、
心底、惚れ惚れする。


評価 ★★★☆☆

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