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「偉大なるマルグリット」 [映画]

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〔2015年/フランス〕


1920年。フランス。
男爵夫人のマルグリット(カトリーヌ・フロ)は、
邸宅に貴族たちを集め、音楽会を開いた。
最後に登場したマルグリットは、
自分の歌を披露するが、観客たちは唖然とする。
彼女は驚くほど、歌が下手だったのだ。


音楽会に紛れ込んでいた新聞記者・ボーモンは、
彼女の歌を絶賛する記事を書いた。
それは、マルグリットに近付くためだったが、
記事に感動した彼女は、
無邪気にボーモンを訪ね、礼を言う。


ボーモンはマルグリットに、
パリで開かれる音楽会に出演させる。
音楽会自体は失敗に終わったが、
聴衆の前で歌う歓びに目覚めるマルグリット。


彼女はパリでソロリサイタルを開く決意をし、
ボイストレーナーを雇い、
本格的なレッスンを始める。


しかし、そんな彼女に、
夫・ジョルジュは困り果てていた・・・。





先日書いた、「マダム・フローレンス!」のコメント欄で、
「このお話を何かで見た」というご意見が寄せられ、
また、劇場でも、隣の席の方が、
「前にヨーロッパの映画で、同じような話があったよね」と
話しているのも耳に入ってきていた。


そうなると俄然気になる。
ネットで調べてみる。
すると、それらしい映画が見つかった。


それがこのフランス映画、
「偉大なるマルグリット」というわけだ。
すぐレンタル店に走り、
準新作だが借りてきた。
「マダム・フローレンス!」の記憶が新しいうちに
観ておきたい。


しっかし、不思議だ。
元々、アメリカで実際にあった話を、
なぜかフランスを舞台に映画化され、
そのリメイクなんだか、
対抗してなんだか、分からないけど、
アメリカでまた映画化されるという、その順番。
アメリカにしてみたら、
「しまった!そんな美味しいネタを」ってな気持ちだったのだろうか。


ただ、私が感じた率直な気持ちを書くなら、
こちらのフランス版の方が、
感情的に理解しやすい。


というのも、
アメリカ版の主人公・フローレンスの「馬鹿みたい」な
様子に比べて、
フランス版の主人公・マルグリットは、
どこか苦しみ、悩んでいる。
それに、めちゃくちゃ孤独だ。


夫に至っては、余計にそう思う。
フランス版の夫は、
音痴なマルグリットを持て余し、
困り果て、苦り切っている。
彼女が歌う姿を見たくなくて、
車が故障したかのように手を汚し、
わざと遅れて帰ったりする。


何も私は、
しんねりむっつりこそ高級だ、
ノー天気なハリウッド映画は低俗だ、
なーんて事を言いたいわけではない。
ハリウッドの「馬鹿みたい」な映画に救われる事の方が
多いくらいだし。


ただ、この話に限っていえば、
アメリカ版の方は、どこか無理がある気がしてならなかったから、
こちらを観て、やっと納得した感じ。


ラストも、おフランス版は、
残酷・・・
・・・に、私には感じられたんだけど、
どうなんだろう。


評価 ★★★☆☆

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