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「アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち」 [映画]

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〔2015年/イギリス〕


1961年。
元ナチスの将校・アドルフ・アイヒマンの身柄が
潜伏先の南米で拘束され、
移送先のイスラエルで裁判が行われようとしていた。


TVプロデューサー・ミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)と
レオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパリア)は、
ナチスの重要戦犯が公の場に出てくるこの機会に、
裁判を撮影し、
世界へ発信しようと計画する。


裁判中、テレビカメラが映り込まないように、
裁判所の壁の改造し、
内側から撮影できるよう細工するなど、
フリックマンたちは、「その日」に備えて準備を進めてゆく。


しかし、何者かがフリックマンに脅しをかけてくる。
「撮影をやめないと、お前の家族を酷い目に遭わせる」と・・・。





試写会で観た。


こんな事を書いていいのか迷うけど、
でも、書いちゃうけど、
試写状が別の会社から、
それぞれ1枚づつ、合計4人分当選してしまって驚いた。
よほど応募者が少なかったんだろうか。


うーん、どうせ当選するなら、
別の映画の方が良かった・・・
などと文句を言ってはいけないいけない。
ありがたい事ですね。
1通は友人にあげて、
私は、ブログのお友達のyonta*さんと一緒に観る。


ナチスの重要戦犯・アドルフ・アイヒマンを裁く裁判の
中継を敢行する男たちの苦心を描いたこの作品。


TVクルーたちの一番の目的は、
アイヒマンが、
ユダヤ人の証言者たちの体験を聞き、
動揺する姿を映したいという所にある。


実際、生き延びたユダヤ人たちの証言は、
想像を絶し、
証言をしているうちに、
本人が気を失ってしまったり、
TVクルーの中にも、
気分が悪くなって、退出する者まで出てくる壮絶さ。


時折はさまれる、実録フィルムには、
山のように積まれた遺体や、
それらをブルドーザーのような重機で穴に埋めている
様子が映され、
人が人に抱くはずの尊厳はまるで感じられない。
映画を観ているお客さんたちも、息を呑んでいるのが分かる。


しかし、アイヒマンは動揺しない。
時に、笑っているかのように見える場面さえある。


どんな大きな事件でも、
たとえ小さな事件でも、
被害者が加害者を八つ裂きにしてやりたいと思っても、
それができない限り、
加害者が、
反省している、後悔している、苦しんでいるという
気持ちを表せば、
ほんの1ミリでも被害者の気持ちは救われるのに。


アイヒマンが死刑になったのは、
誰もが知っている通りだけれど、
なんとも空しさが残る。


評価 ★★★☆☆

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