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「金色夜叉」 [映画]

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〔1937年/日本〕


明治時代。
間寛一(夏川大二郎)は幼い頃に両親を亡くし、
父から恩を受けたという鴫沢家の主人に引き取られ、
高校に通わせてもらっている。


鴫沢家の一人娘・宮(川崎弘子)とは許嫁で、
2人は大変に仲が良かった。


ところが宮は、以前から宮に惚れている富豪の富山唯継と
かるた会という名目で見合いをさせられ、
その後、求婚される。


宮は、
寛一が大学を出るまで待ってはいられない事、
鴫沢家の経済が逼迫している事、
などの理由から富山との結婚を決意する。


怒った寛一は、そのまま学校を辞め、
行方知れずとなる。
彼は冷酷な高利貸しになっていたのだ・・・。





ひと月ほど前、山本富士子版の「金色夜叉」を観て、
あまりの面白さに驚いた事をレビューに書いたが、
味わいの違いを比べたくて、
あちらより17年前に作られた、本作を観てみた。


しかし、しかし、
山本版とは全然受ける印象が変わっていた。
まず宮が嫁にいく理由が違う。
山本版では、宮は、
両親に説得され、それこそ身を裂かれるような思いで
寛一と別れるのに、
こちらでは、宮は割と積極的に富山と結婚したがっている風に取れる。


有名な熱海の場面でも、
寛一が、
「今すぐにでも学校を辞めて働くから、僕と一緒になろう」と
言ってくれているにも関わらず、
「私、そんな貧しい暮らしは嫌なんです」とハッキリ言う。
これでは、宮自信が金に目が眩んだと思われても仕方あるまい。


その後の結婚生活も違う。
山本版の富沢は、
いつまでも寛一を思ってメソメソしている宮に、
冷酷に当たり散らすが、
こちらでは大変に優しく、
さらに、妻の歓心を買おうと努力する。
宮も、そんな富山に尽くす、とてもいい夫婦だ。


うーん、全然違うじゃないか(笑)。
どちらがより原作に近いのだろう。
山本版の方は、山本のイメージを崩したくなかったとか?(憶測)
一つ感じたのは、
山本版の方は、
観る者の心を引き付ける演出がとても上手かったんじゃないかという事。
今思えば、あんなに面白く感じたのも、
そのせいだった気がする。


やはりこれは、原作を読んでみないと駄目ね。


本作で、誰もが持つ「金色夜叉」のイメージと違っていたのは、
寛一が宮を足蹴にする場所というのが、
熱海ではあるが、
海岸ではなく、山道だった事。
あの決めゼリフも、それほど大仰でなく、
サラッと通り過ぎた場面といった印象。
他の作品と、別格感を出したかったのであろうか(憶測(笑))。


評価 ★★★☆☆

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