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「マックス、モン・アムール」 [映画]

Max,MonAmour.jpg
〔1986年/フランス〕


外交官のアンソニー・ヒギンズは、
最近、妻シャーロット・ランプリングの様子がおかしい事に気付く。
興信所に頼み、ランプリングの身辺調査をした結果、
彼女はアパートを借り、
そこで恋人と過ごしているらしいという報告を受ける。


そのアパートに出向き、
ドアを開けたヒギンズは、驚くべき光景を目にする。
なんとランプリングが猿とベッドに入っていたのだ。


とにかくこのままではいけないという事から、
その猿を家に連れて帰るヒギンズ。
猿はマックスと名付けられており、
ヒギンズは自宅の一部屋をマックスの為に空ける。
(羨ましいような待遇である)


以来、マックスは家族の一員として暮らすようになる。
一人息子(8歳くらいか)はマックスに懐いていたが、
ヒギンズは、妻とマックスの関係が気になって仕方なく、
次第に苛立ち始める。


彼は、街の娼婦を家に連れ込み、
人間と猿の性行為が可能かどうか試してみてほしいと
娼婦に頼む。
娼婦は引き受けたが、
マックスは怯え、彼女に手を出す事は無かった。


この先、マックスはどうなるのか。
そして家族は・・・。





これほど主人公に感情移入できない映画も珍しい。
大島渚監督は、これを観た観客に
何を感じ取れというのだろう。
いや、何か凄いメッセージがあるのに、
私が理解できないだけなのであろうか。


だって、相手は猿だもの。
可愛い動物が出てくる映画は大好きだし、
ペットとしてなら、猿も可愛いのだろうけれど、
“恋人”というのは、いくらなんでも。


ヒギンズはランプリングに、
「あの猿と性関係はあるのか」と最初の段階で尋ねる。
(だれだって、一番知りたいのはそこだろう)
けれど彼女はハッキリは答えない。


しかも、自宅で友人たちを招いてのホームパーティの最中、
マックスを皆に紹介するのだが、
そこでイチャつき始めるランプリングとマックス。
友人たちは唖然呆然、
目のやり場に困り、その場にいるのも辛そうな様子。


それは息子にも分かるようで、
客人たちと同じ表情で困惑していて可哀想だった。
母親の恋人が猿って、
私だったら(いや、誰だって)絶対イヤだろう。


ヒギンズがランプリングを求めるシーンがあるけれど、
私だったら、猿とイチャついてる相手と関係するのは嫌だな。


マックスはチンパンジーという設定になっているが、
とてもでかくて、
ゴリラにしか見えない。
だから余計に怖い。


愛に言葉は必要ないという事?
家族の絆?
やっぱり私にはよく分からないや。


評価 ★★★☆☆

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