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「泥の河」 [映画]

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〔1981年/日本〕


昭和30年前半。
大阪、安治川岸で、うどん屋を営む、
両親(田村高廣・藤田弓子)と小学校3年生の信雄。
ある日、対岸に、見慣れないみすぼらしい船が停泊する。
その船で水上生活をする同い年の喜一と、その姉、銀子と友だちになる信雄。


信雄は喜一に招かれ、船に遊びに行く。
船内は壁で仕切られた、二つの部屋があり、
船の中からは、互いの部屋に行き来できない作りになっていた。
隣の部屋には喜一たちの母(加賀まりこ)がおり、
声だけで挨拶はしたが、顔は見せなかった。


家に帰り、船の話をした信雄に父親は、
「夜はあの船に近づいてはいけない」と言い聞かせる。
幼い信雄に理由は分からなかったが、
喜一の母は、船で体を売り、生計を立てているのだった。


そんな信雄の両親も、
ある事情を抱えており、
それは、子どもには分からない大人の世界だった。


信雄は喜一と銀子を家に招き、
両親と楽しい時間を過ごしたり、
時に店の手伝いをしたり、
少年らしい日々を過ごす。


楽しみにしていた夏祭りの夜、
連れ立って出かけた信雄と喜一だったが、
二人は持っていた金を落としてしまう。
しょげ返る信雄を自分の船に連れていった喜一だが、
信雄はそこで、
喜一の、やり場のない内に秘めた激しい怒りを、
ある行動によって、発散させている事を知り、
ショックを受ける・・・。




心に染み入るような映画である。
まだ幼く、自分ではどうする事もできない大人の事情に翻弄される
子どもたちの姿が哀しい。
けれど、それでも、
なんとか生きてゆく、その健気な様子が胸を打つ。


信雄と喜一の出会いの場面がとても自然で、屈託が無く、
「あぁ、子供の頃って、同じくらいの年恰好の子に
 こんな風に声を掛けて友達になれたんだよな」と、
大人になってしまった今の自分にはできない行為を、羨ましいような思いで見た。


田村高廣と藤田弓子が喜一と銀子に接する時の様子が本当に素晴らしい。
廓舟の子だからと差別する事もなく、
自分の子も他人の子も、分け隔てなく可愛がる。
社会が子供を育てるというのは、こういう事を言うのだろう。


子供が乗っている舟で体を売る加賀まりこの行為は、
決して褒められたものではないが、
私はある場面で大変に感動したんだ。
それは、
信雄の母が、
「人手が足りないから店を手伝ってほしい」と信雄を呼びに来た時、
隣の部屋でそれを聞いた加賀まりこが、
「銀子、お前も手伝っておやり」と娘に言った場面。
「この母親は、思っているより真っ当なのかもしれない」と、強く感じた。
生活の為に体を売ってはいるが、
本当はそんな事はしたくないのだろうなぁと。


信雄が見た、喜一のストレス解消法は、
ある意味、少年らしく、
彼にとって、唯一の方法なのかもしれない。
大人になれば、それらを解消する別の方法を、彼は見つけるだろう。
それが何かは分からないが、ちょっと怖ろしい気もする。
どうかあの子供たちが幸せに生きられますようにと、
願わずにはいられない。


評価 ★★★★★

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