「王になろうとした男」 [映画]
〔1975年/アメリカ〕
インドで、新聞社の特派員をするクリストファー・プラマーは、
深夜、ボロボロの衣服を身に纏った、
乞食のような男の訪問を受ける。
顔を見ても、それが誰なのか、
しばらく分からなかったが、「あ!」と声が出てしまう。
「そうだ彼はマイケル・ケインだ。王になろうとした男だ」
ケインはプラマーに、ここ数年の出来事を語り始める・・・。
ケインと、友人のショーン・コネリーは、
軍隊時代の仲間で、
2人には大きな野望があった。
それは、ヒマラヤ奥地の国・カフィリスタンに行き、
そこの国王になろうという計画だ。
やっとの思いでヒマラヤを越え、
辿り着いたカフィリスタン。
ある部族に迎え入れられたコネリーたちは、
部族に、英国式の軍事訓練を施し、
おかげで部族は国一番の力を持つまでになる。
コネリーは神ではないかと村人たちが噂するようになった頃、
彼は村にやってきた聖者たちから、
神である証拠を見せろと言われ、たじろぐ。
ところが、彼が身につけていたフリーメイソンのペンダントが、
奇しくも、寺院の石に彫ってある模様とソックリだったため、
ついにコネリーは、
聖者たちお墨付きの王の座を手に入れる。
財宝の有り場所を教わったコネリーとケイン。
それを持って逃げようと提案するケインだが、
コネリーは、美しい村の娘を妻にし、
ここに骨を埋めると主張し・・・。
2人のイギリス人の男が、
ヒマラヤ奥地の、まだ文明に晒されていない国で、
王に登りつめる、という物語。
冒険物語としては、中々の出来だと思うけれど、
西洋式の戦争を、現地の人々に教えるなど、
今のモラルからすると、
それってどうなのよ、と思う場面も多い。
信心深い村の人々と、
狡賢い西洋人の対比。
最初は、西洋人の方が、
知恵も知識もある分、
勝っているように思えたし、
実際、王にまでなるのだけれど、
結局最後は、神の力には勝てないという皮肉。
人々の心にある、神という存在は、
もう理屈ではない。
その心には、西洋的なモラルなど通用しはしない。
神が是と言えば100%を受け入れ、
否と言えば、人を殺す事も厭わない。
それを西洋的なモラルの型にはめて考えようとするのは、
文明社会で生きる人間の驕りであろう。
まぁ、そんな風に真面目に考えなければ、
ショーン・コネリーとマイケル・ケインという
スターの共演を見られただけで
得したような気持ちになれる。
プラス、クリストファー・プラマーときたものだから、
素敵なおじさま俳優の見本市みたいで嬉しい(笑)。
コネリーとケインのやり取りは、
結構ふざけていてコメディっぽい。
まぁ、そんな様子が余計に、
未開発の国を小馬鹿にしているように
見えてしまうんだろうけど。
評価 ★★★☆☆
「イメージ・2」にお越しいただき有難うございます。
先住民を蹴散らして乗っ取った人達がそこに又現れて感じですね。
やはり最後は神の力が・・・。
by lamer (2015-04-06 14:19)
ちょっと、黒沢映画の(森3中ではありません)「七人の侍」思い浮かべますね
ショーンコネリー、渋いです(^_^)
by mitu (2015-04-07 08:54)
lamerさん
コメントありがとうございます。
よその国の王になろうとすること自体が、
図々しいですよね^^
by 青山実花 (2019-12-29 23:29)
mituさん
コメントありがとうございます。
ショーン・コネリーは、
若い頃から渋いイメージでしたよね^^
by 青山実花 (2019-12-29 23:29)