「東京の宿」 [映画]
〔1935年/日本〕
喜八は、小学生の息子2人を連れ、
疲れ切った足を引き摺るように、
仕事探しをしている。
それらしい会社を見つけては、
「使ってもらえないか」と頼み込むが、
どこも門前払い。
ある夜、喜八は、
木賃宿で、美しい女が幼い娘を連れているのを見かける。
さらに翌日、原っぱで女と再会し、
彼女も仕事を探し歩いている事を知る。
いよいよ金が無くなり、
息子たちの不注意で荷物まで無くしてしまった喜八は、
野宿しようと決めるが、
そこで偶然、
昔馴染みの飲み屋のかあやんと出会い、
仕事を紹介してもらう事になる。
なんとか希望の光が見えた。
金を手にした喜八は、
酒を飲みに行くと、
給仕に来た女は、
あの、美しい人だった。
「あんたはこんな仕事をする人じゃないと思ってた。
何のために、毎日あんなに必死に歩き回っていたんだ」と
怒る喜八。
しかし、女が水商売を始めたのには、
深いわけがあったのだ・・・。
小津安二郎監督のサイレント映画。
仕事探しをする男。
金はもちろん無いけれど、
住む家さえ無い。
泊まるのは、
雑魚寝するような、格安の木賃宿。
どうしようもない極貧生活。
男1人なら、それでも身軽だろうが、
幼い息子を抱えている。
この先どうなるのかと、
映画ながら、こちらまで不安になる。
イタリア映画、「自転車泥棒」みたいだ。
もしかして、「自転車~」に影響されて?と思って、
今、調べたら、
なんと、この映画の方が、
13年も前に作られているではないか。
当たり前だけど、小津安二郎という人は、
やっぱり凄い人なんだ。
子どもたちの明るさが救い。
喜八が今日もまた、
仕事を得られずに終わっても、
「父ちゃん、明日があるよ」と言う。
「明日がある」。
そうだね、本当にそうだねと、
心に少し、あかりが灯るような気持ちにさせてくれる。
飲み屋の軒先で、
かあやんとバッタリ再会した時は嬉しかったなぁ。
溺れてかけている所に、
ボートが流れてきたような気分だった。
もしくは、神様にでも出会ったような。
ラストは、なんと言ったらいいのか・・・。
この気持ちを表す言葉が見つからない。
評価 ★★★☆☆
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