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「八月十五夜の茶屋」 [映画]

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〔1956年/アメリカ〕


1946年。
終戦直後の沖縄に赴任してきたフィスビー大尉(グレン・フォード)は、
僻村・トビキ村に着いた。


通訳は日本人のサキニ(マーロン・ブランド)。
フィスビーの仕事は、
トビキ村に、民主主義を教える事と、
学校を建てる事。
村民たちは、フィスビーを大歓迎し、
たくさんの贈り物をくれる。


贈り物は、虫かごや茶碗など、
取るに足らない物ばかりであったが、
誰かが、ゲイシャをプレゼントすると言って、
ロータス・ブロッサム(京マチ子)を無理矢理置いてゆき、
真面目なフィスビーは大慌て。


しかし、村の人々の純朴さと、
居心地の良さにどっぷりつかったフィスビーは、
学校建設の為の建築資材を、
茶屋の建設に使ってしまう。


報告を受けた本部は驚き、
フィスビーの頭がおかしくなったと判断、
軍医のマクリーン大尉(エディ・アルバート)を送り込んで、
診察させるが、
マクリーンも、村を気に入り、
居着いてしまう始末。


フィスビーと村人たちは、
金の為、
芋から酒を造ると、これが評判になる。
しかし、それが本部に知られてしまい・・・。





マーロン・ブランドが日本人役をするという冒頭から、
トンデモ映画だと決め付けて見始めたのだけれど、
とてもいい映画だった。
そこまで悪くない。


もちろん、ブランドが日本人役というのは、
どう見ても無理があるけど(笑)。
一応、変なメイクをして、変な着物を着て、
日本人らしくしてあるけれど、
やはり、どう見ても白人。
ただ、普段の彼とはまるで別人という意味では、
成功と言えるかも。
公開時はアメリカでも、気付かない人が沢山いたそうだ。


沖縄の僻村に赴任してきた、フィスビー大尉が、
次第に村に馴染んでいく様子がとても良い。
別にフィスビーは、
王様のように君臨しているわけではなく、
村の人と同格で、普通に生活に溶け込んでいる。


村に慣れてゆくに従って、
窮屈な軍服を脱ぎ、
着物の代わりにバスローブを着、
靴の代わりに下駄を履く。
すんごく自然にそうなった、という格好だ。


フィスビーは、民主主義を教えに来たと言うけれど、
そんなものは、
村にはもうとっくにあって、
そのような事を考える必要などないくらい、
当たり前に暮らしているのがよく分かる。
日本のいい所が、とても上手く出ている。


日本の描写に、
おかしな点が無いわけじゃないけど、
日本がとても好意的に描かれている映画を、
嫌いになれるわけがない。


村の女役の1人を清川虹子さんが演じておられるのだけれど、
清川さんが生前、テレビで、
「私はマーロン・ブランドと付き合っていた」と言っていたのが、
私の中で、強烈な記憶として残っていて、
2人が同じ画面にいると、
つい目線を追ったりしていた。


そのテレビで、清川さんが、
「マーロンがね♪ マーロンがね♪」と、
甘い声で何度も言っているのを見た時は、
「ホンマかいな」と思ったものだ。


でも、その後、マーロン・ブランドの事を知るうちに、
彼が、あの年代の人には珍しいくらい、大変な人種差別否定主義者で、
学校時代、黒人の友達がいる白人は彼一人、
大人になってからの恋人も、
非白人が多かった事が分かった。
清川さんの言っている事も、
あながちウソではないのかも、と、今では思う。
ブランドが、どれくらい真剣だったかは別としても、
2人の間に何かあった事だけは、間違いないのではないかと。


評価 ★★★☆☆

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